2013年4月1日月曜日

人が理性的で論理的であるとすることの危うさ

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Some rights reserved by Theis Kofoed Hjorth
BLOGOSがわたしの最近のお気に入りで、いろいろ極端な人たちの言説にふれることができ、とても興味深く読んでいる。Google Reader が終わってしまうので、とあるRSSリーダーを使い始めた。RSSという技術自体が終わるのではないか?などという人もいるが、そんなことはない。RSSほど見えにくいところで今も大活躍している仕様はないからだ。


さて、早朝にニュース論評などを読んでいると、どうも気になることがある。「人は理性的、論理的に判断し、振舞おうとするものだ」という誤った人間への理解を前提にしていることに、筆者が気が付いていないことがあるからだ。ポピュリズムというのは、まさに人は理性的に正しい判断どおりに行動しない事例の典型である。自分自身でさえ、さまざまな感情・気分に左右されて、結果として不利になるような行動を繰り返している、ということは自省的になる思考力があればすぐに気がつくことだ。もちろん、気がついたからといって直せるわけではないというのがポイントである。

たとえば、「リスク」に対する考え方。リスクを過大評価するのは生物にとっては不可欠な心理的傾向だ。最大のリスクは命を失うことである。もちろん、お金も直感的に命を脅かすものである。100万円失うことと、100万円得ることを比べると失うことのほうが重大だ。クイズ番組などで、わざわざ賞金の札束を見せたり持たせたりするのは、より強い感情を起こさせるのに有効である。今見えている札束は、「もうほとんど手に入れたような」気分になっているカネだから、クイズに不正解すれば「失う」という感情が引き起こされる。

確率でも同じだ。簡単な実験してみると人間は確率現象にすぐにだまされることがわかる。ギャンブラーはしばらくツキに見放された後には必ず波が来ると信じるというタイプのアレ、「ギャンブラー錯誤」という名前さえ付いている統計的事実を誤信する心理現象である。

人の心がどのように間違った判断をする傾向にあるか、何を過小評価し何を過大に評価するか、どんな刺激に敏感で何に無頓着か、どんな感情に支配されると見誤るか?このような視点を組み入れて、社会がどう判断し、自分がどう理解し行動するかを常に点検しなければ、非合理的な行動を防ぐことができない。ロボットでもあるまいし。

理性的でない人間として生きて行くことは楽チンだ。だが、人間というものを理解しないで放たれた言説は、社会を混乱させる。もっとも、人間一般がそういう傾向を持っているのだとしたら、BLOGOSの執筆者だけが理性的であるべきだという風に言うこと自体がナンセンスなのかもしれない。

でも、眉に唾をつけながら読むのは、ちょっと汚らしくてうんこだ。

いまある感情に支配されたかもしれないが、もう出かけねばならないのでお許しを。