2013年4月21日日曜日

電子書籍使いたいと思わない?

時事通信が電子書籍端末の利用に関する調査を3月にやったということで、新聞やネットで記事になっている。電子書籍利用者は7%で、「使いたいと思わない」は69.8%だったそうだ。利用者は2011年の調査(3.3%)から倍増しているのだから流行っているといえば言えなくもないが、まだ一般的にはなっていない。イノベーター理論でいえば、流行に敏感なアーリーアダプター層の13.5%を越えていないから、まだ電子書籍はマイノリティなのだろう。


書籍といっても、仕事で参照する専門書や学術書もあれば、気楽に読める小説、マンガ、雑誌などジャンルは多岐に渡る。ほとんど小説など手にせず技術書やノンフィクション、ルポしか読まない私のような人もいれば、電車の中で小説を読みあさるサラリーマン、マンガを読む学生さんなど、利用者のシーンはまちまちだ。そんな多様性のある利用シーンで書籍というものの使われ方を無視しては電子書籍の普及は語れない。

私の場合はどうかというと、電子書籍を利用するケースと紙の書籍を選ぶケースに分けているというのが実態である。何かをじっくり読むときには、電子書籍はしっくりとこない。検索したり、つまみ食いするような書籍は電子書籍がピッタリ。そして、電子書籍を買いたいと思うのは、書棚にとっておきたくならない、つまりあまり重要ではない書籍だけ。ちょっと参考にしたい書籍を買いたいのだ。

しかし、参照したい書籍というのはたいてい古本で入手可能で、紙の書籍をオンラインで買うことが多い。先週買った本も買ってはみたもののあまり参考にならなかった。もういらないし、手に余している。こういったあまり売れていないであろう本こそ、電子書籍で中身を確認してから買って必要な情報を得たら捨てるというようなことをしたいのだ。けれど、電子書籍になるのはほとんどが新刊の売れそうな本ばかり。勢い、私の中での電子書籍の比率は高くならない。

たしかに、電子書籍はかさばらないし、最近のリーダーソフトは良くできている。ディスプレイも見やすいし、電池の持ちがいいものもそろっている。それでも、私が電子書籍を大胆に導入しないのはなぜだろうか?

すこし考えてみると、まず所有欲のようなものをうまく満たしてくれないということがある。触れないし、紙の匂いやページをめくるさらさらとした感触もない。気にいったページに書き込みをしたり、附箋を挟む楽しみもない。書籍というインタフェースを長年使って飼いならされてきたから、こういったユーザ体験からくる感情は変えられないし、変えたくない気分が厳然とあるのだ。

それとやはり紙の本よりも使いやすくない。書籍Aのあるページを見ながら、書籍Bに書かれていることを読みたいというようなことはわりとよくあるのだけれど、そういった操作をしようとすると、電子書籍ではとても面倒である。

マンガや雑誌、ライトな小説ではそういった問題があまりないから、電子書籍化は進んでいくのだろうし、同種の指摘はこれまでもたくさん見てきた。うちにも子供たちが買ったマンガが山積みになっていて家が傾きそうだから、もう勝手に捨ててしまいたいくらいだ。全部電子化してくれたら大いに助かる。でも、電子ブックリーダーを子供に買ってやる気はさらさらない。バイトでもして買ってくれ。

もちろん、は徐々に技術にあわせて自分自身を変化させて対応していく生き物である。この記事だって、キーボードでローマ字入力してるわけで、そんな技術を社会全体が受け入れていくのに20年くらいはかかった。

電子書籍が書籍の代わりになるだけ、持ち運びが便利なだけ、では利用シーンでの不便さを補うには不十分である。電子書籍だから格段に安いとか、紙の書籍ではできない検索性やメディアの埋め込みなど、電子化されたことによるメリットが使いにくさを凌駕しないと、爆発的な普及は望めないだろう。

インタフェースという面で見ると、人間って保守的な存在。それは意外でもない事実なのだとおもう。


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