2013年5月21日火曜日

YouTube素人製品レビューの功罪

Photo by Carsten Schertzer
[CC BY 2.0]
Googleはある意味で素人参加番組のCM配信会社です。本体である検索やコンテンツといった「番組」にCMを出す仲介ビジネス。ユーザ行動を分析して利用できるから、なかなかよい結果を出しているわけです。それから、Google Adsenceは、ブログにCMを出すことを可能にして、ブロガーやWebサイトのオーナーにCM収入の可能性を広げました。基本のところは、テレビと同じビジネス構造です。

YouTubeでも動画のビュー数が増えると広告収入が入るということで、多くの人がおこずかい稼ぎに余念がありません。少額ですが、自動販売機の下を棒でガサガサして100円拾うのよりもましですよ、ええ。私だって、自販機を専用小銭掻きだし棒「さぐるくん」でゴソゴソするのは恥ずかしいですし。あたくし、アフィリエイトはやってはおりますけれども、正直なところまじめに何かの原稿書いたほうがお金になります。

でも最近、YouTubeのレビュー系動画が少し気になるのです。素人レビュアーみたいな人たちがでてきて、なかには子供もいるんですけれど、製品レビューのまねごとみたいなことをやってどんどん動画をアップしているのです。

それ自体を悪いとは思いません。そういう時代ですから。

でも、やっぱり製品レビューってのはユーザ視点で使いにくいところはちゃんと指摘してあげるとか、向いてない人が買わないように注意しておくとか、使いこなし術とかあるわけです。でも、そんなの一切なくただただ製品を紹介していく。そんなのが量産されている感じがするのですよ。

素人でもメディアを手にすることができるようになって、情報を発信するリテラシーみたいなことが今試されている気がするんですよね。どうも、広告会社に踊らされすぎている気がするのはテレビもネットも同じなのではないかと、老婆心がムクムクするのです。

まあ、ジェラシーですけどね。バシンバシン。

2013年5月16日木曜日

かまってちゃんとかまったげちゃん

ahhhhhhhhhhh Photo by Kitenutuk
(CC BY 2.0)

ある遠い国に、かまってちゃんかまったげちゃんがいました。

かまってちゃんは今日も「ひとりコーヒーgkgk」「あー熱出てきた仕事休みたい」とひとりつぶやいています。でもかまってちゃんメンドクサイ人なので、誰も声をかけてくれません。今にも泣きだしそうです。


2013年5月9日木曜日

ボランティア社会妄論

仕事はすべて無料
快く引き受けます。

私はプログラマーですが、契約書を交わして、お客様のご要望に合わせて何度も仕様変更し、そのたびに理不尽に怒られながら修正作業とデバッグを繰り返し、そして請求書を出す段階で金額でもめる。

そんな毎日はもう御免です。

これからは、すべての仕事が無料です。ボランティアです。ただ、私の時間は限られていますので、発注が多くなると納期は確約できません。また、修正作業もすべて無料ですが、作業予定は仕事キュ-の末尾に追加されるFIFO(先入れ先だし)形式です。なお、後述する理由により、国・自治体様の仕事を優先的に処理させていただきます。さらに、私が居住している自治体様は常に最優先とします。作業に移動が伴う場合は、交通費を別途いただきます。

2013年5月3日金曜日

いじめの構造と不適切発言

個人的なこと書きます。

昨日は仕事もはかどらず、なんだかとても疲れていて、タイムラインでもギザギザしたことばかり書いていた。

そんな矢先、ある人に向かってトゲのあることを書いて怒らせた。阿吽の呼吸の「いじり」のつもりで「阿」と書いたつもりだったけど、相手にとってはそうではなかった。不快にさせてしまったようで、申し訳なくDMで謝った。こころから許してくれているかどうかは分からないけれど、こればっかりはしょうがない。こちらに非があるのだから。

その後、少し冷静になるとこの構造は学校のいじめに似ているなと思いハッとした。毒を吐いてもネタだし「いじり」なんだぜと開き直れば、それはいじめじゃないというよくある構造。今回の出来事と同じである。いじめる側の論理と、今回心の中で感じた感情は同じなのではないのか?自分であれこれ発言してきたいじめ問題と同じ構造に自分がはまっていることに気がついた。

そのあと別の人から「謝るくらいならやんなきゃいいのに」と言われた。全くの正論でぐうの音も出なかった。

こちらもある事件を連想させた。それは猪瀬都知事のニューヨークタイムズの不適切発言である。最初、言い訳したうえに、最後は撤回謝罪するというストーリーだった。心の中で「謝るくらいなら言わなきゃいいのに」と思っていた矢先だったので、この「謝るくらいならやんなきゃいいのに」はグサリときた。阿吽の呼吸のいじりという「真意」が伝わらなかったというような気持ちが少しあったのも本当だからだ。

このお調子者で悪乗りが過ぎる性格はたぶん変えられないだろうし、SNSだけでなく、リアルな場所でもきっと似たようなことをやって誰かを不快にさせているのだろうなと思うと、切ない気持だ。でも、性懲りもなくまたやってしまうのだろう。せめて、ちゃんと謝るという最低線だけは守らなきゃいけない。

ごめんなさい。